映画の祭典の席で、糟糠の妻への、低俗なジョークに怒り、張り手を振るった俳優ウィル・スミスがアカデミー会員を辞任する。
栄えある場所で、放たれた低俗なアメリカンジョークを横に置き、スミスの張り手にだけスポットを当てて、暴力行為だと断罪するのは、解せない。
「スミスの怒りの鉄拳」ではない。「スミス抗議の張り手」である。
正拳か、張り手か。パンチか、ビンタか。この違いは大きいと思う。
拳を握りしめ怒りをもって殴りつける行為と、手の平を開いて頬を張る行為は違うと思う。
マッドドック・バション、ディック・ザ・ブルーザー、クラッシャー・リソワススキーといった、昭和の時代にプロレス界を牛耳った強面のレスラーがリングで放ったパンチとアントニオ猪木の張り手も大きく違う。
ことに、今は病床にある猪木先生のビンタは、かつては「闘魂注入」のありがたい儀式として全国津々浦々で連日行われた。
始まりは代々木予備校での講演だった。その場に取材で居合わせた。講義の最後に、壇上に上がった、ふたり目の予備校生が猪木先生の鳩尾へ放った正拳突きが、猪木先生の闘魂に火を点けた。
「ビンタ=闘魂注入」儀式の始まりだった。
あくまでも猪木先生は、不意の正拳突きに対して「鉄拳」ではなく「張り手」で若いエネルギーに返答したのだった。
スミスよ、あれが“空手チョップ”だったならば—。
そう力道山、ジャイアント馬場、天龍と受け継がれてきた日本プロレス界、伝統の技“空手チョップ”。
ウィル・スミスが“空手チョップ”を繰り出して、憎きクリス・ロックを成敗したならば「ドライブ・マイ・カー」と共に、“空手チョップ”は人を質す日本文化として、アカデミー賞の歴史に刻まれたかも知れない。