2020東京五輪の公式映画で河瀬直美監督が、コロナウイルスとボッタクリ男爵らIOCの面々が跋扈した大会を、果たして、どのように描くのか完成が待ち遠しい。

弊社にとっても1964年の東京五輪が一つの分かれ目であった事は間違いない。公式映画「東京五輪」に比べて、アジア初開催となった冬季五輪1972年の「札幌五輪」公式映画は話題になることが少ない。篠田正浩監督が総指揮、弊社も撮影に関わった。また同じ1972年夏季大会ミュンヘン五輪はオムニバス形式の作品でフランスの名匠C・ルルーシュ監督らと共に、日本からは市川崑監督が参加。弊社の撮影部も参加した。

さて1998年の長野五輪は—。

バド・グリーンスパンという監督をご存じだろうか。彼こそが「ミスターオリンピック」である。1984年のロサンゼルス五輪を皮切りに、驚くことに
1988年カルガリー五輪
1994年リレハンメル五輪
1996年アトランタ五輪
1998年長野五輪
2000年シドニー五輪
2002年ソルトレークシティー五輪
2004年アテネ五輪
2006年トリノ五輪
2010年バンクーバー五輪
2010年12月に亡くなるまで、夏季4回、冬季6回、合計10回、五輪の公式映画の監督を務めている。

前代未聞の延期、開催も危ぶまれた2020東京五輪。
思惑や利権で雁字搦め、選手は「アスリート」と呼ばれるようになり、大方の「アスリート」は事務所に所属し、期間中、テレビは一日中、ほぼ五輪中継となった「電通五輪」
秘話や、秘蔵映像も散々、擦り倒されてしまったと感じる。
河瀬直美監督が描く「東京五輪」は来年6月公開される見込みだ。