2021年東京五輪・パラリンピックでテレビ在京民放局は共同企画「一緒にやろう」応援ソングとして、桑田佳祐さんの『SMILE~晴れ渡る空のように~』を大会関連の競技中継、スタジオ、VTRなど放送の度にBGMとして使用した。

2021年1月24日に音源、情報の解禁となった為、その期間は8ヶ月に及び、OA回数と言えば、最早カウントが不能、冬から夏の本番、そして秋まで、オリンピック、パラリンピックの映像とセットで桑田さんの曲は流れ続けた。前代未聞の大プロモーションの割に、この曲についての話題や、ヒット情報、口ずさむ人にも、私は現在まで出会ったことがない。

桑田佳祐さんがサザンオールスターズのリーダーで日本の音楽界に与えた影響が果てしないことはよ~く存じ上げている。遠い夏、ドライブウェイで彼女がかけたカセットから流れてきたのは確かにサザンだった。でも今は65歳、還暦過ぎたおじいさんである。

1984年のロサンゼルス五輪大会の日本金メダル第1号となったのはラピットファイヤーピストルの蒲池猛夫さん、年齢は48歳だった。「人生の半ば、オリンピックで金メダル!48歳の蒲池さんって凄いおじさんだ」と本当に驚いた。五輪の主役たる日本選手団の若人たちに先んじての快挙だった。

桑田さんをロックミュージシャンと呼ぶのには若干、抵抗感がある。物事に異を唱えるとか、社会の歪みを訴えるとか、そうした抵抗をしない「大人のミュージシャン」だからである。そこは故・忌野清志郎と違う。大きく違う。だからきっと民放全局は「安心して」大人の事情も飲み込んで、応援ソングに同意したのだろう。

が、この曲がアスリートたちの「一瞬の夏」とイメージが重ならなかったのか、響かなかったのか、とにかくヒットしたと言える状況にはない。五輪という甘い蜜に群がる大人の企てが、見透かされてしまったのかも知れない。日本国民全員がサザンを好きなわけではないし、65歳の作った青春ソングって、最早、懐メロかも。