北京五輪開会式は世界的な映画監督チャン・イーモウらしい壮大な映像絵巻だった。最新技術と的確な時間配分、そして何より「アスリートファースト」を実践したこと。入場を終えた選手団を”客席に着席させた”事は素晴らしい配慮だった。おかげでボッタクリ男爵の長いスピーチの時にも、余計な心配をせずに済んだ。
コロナ禍にふさわしい開会式が実現できたのは良くも悪くも北京五輪が国家を挙げた「中国五輪」であったからだと思う。翻って去年の東京五輪は電通主導の「東京五輪」だった事は否めない。顔の知れたタレントさんの”紅白歌合戦”の紅白だけ抜き取った様な演出。世界基準という大きな物差しではスモールサイズ。その国の文化と歴史、文字通りカルチャーの表現を望まれる一大イベントなのに残念ながら東京周辺の「サブカルチャー」を束ねたショーに終始した様に感じる。
開催地に挙手する為に本当に必要なこと、再考すべき事は多い。