11/26(金)【秋のつむじ風】1978年11月24日。後楽園球場のレフトポールの下でで約1時間、色とりどりの紙テープは塵となり、つむじ風に舞っていた。弱小球団と呼ばれたヤクルトスワローズは広岡監督のもと、セ・リーグで初優勝。パ・リーグの盟主でオリックスの前身となる阪急ブレーブスとの日本シリーズ第7戦。ヤクルトの主砲 大杉勝男の放ったレフトポールへのホームランの判定をめぐり阪急の上田監督は「ファール」だと主張して猛抗議。しかし判定は覆ることなく、延々と押し問答が続いていた。判定を不服として、選手をベンチに引き上げさせ試合は中断をしていた。高校生だった私は良くも悪くも「大人の事情」をすっ飛ばしてでも勝負にこだわる大人がいることに、心から驚いた。「大人の世界なんて結局長いものに巻かれる奴ばかりだ」と思っていた17歳の私は聞き分けの悪い上田監督の執念にただただ、驚いていた。明日は第6戦、愚かしいほど勝負にこだわる、そんな輩は、令和の時代にもいるのだろうか。